高校野球を観戦して-多くの文化の混ざり合い-

 本日は高校野球を見に甲子園までいってきた。人生二度目の甲子園である。感想としては非常に楽しかった。


外に出かける理由

 最近は様々な場所にでかけて"経験"を得るように心がけている。つい先日も、四条河原町から鴨川沿いに歩いて鞍馬寺まで歩いてきた(これはまた後日アップしたい)。これは京都に住みながらも京都のことを何もしらないといった反省からきている。本日は京都とは関係ないが、以前から少なからず興味があった「全国高校野球選手権大会」を見に行ってきた。非常に感動した。だいぶ日焼けしたが。第2試合から観戦を開始して第4試合まで観戦した。

 このように私が自らを様々な環境に放り込むのは、その場の随伴性を体験するためである。様々な随伴性を実際に見聞きし体験することによって、自らの行動レパートリーの幅を拡げることが、または拡大する可能性を増加させることができる。これは今後の行動選択肢の拡大にもつながる。なぜなら一度経験したことは最低でも「知っている」わけであり、次に同じように行動する機会があった場合には、同じ行動(今回の場合では「甲子園にいく」)の生起確率が増加するためである。

 今回の場合は野球に詳しい、さらに甲子園には何度も足を運んでいる後輩とともにきて、分からないことを解説してもらいながら野球を観戦した。後輩は某球団の応援団にも在籍しており、野球の細かいルールやテクニックだけでなく、応援や売り子のことについてもいろいろと聞く機会に恵まれた。

多くの文化の存在

 しかしながら、野球というのも不思議な文化であるなと感じた。このように大勢が集まって楽しめるエンターテイメント性に限らず、今回の場合では高校球児がそれぞれの思いを秘めて互いに戦う。そして、また新たな経験を摘んでいく。大きな球場が作られ、多くの人たちが参画、参加し、また常連の文化や一見さんの行動も混じり合いながら、そこの場にはまた新たな行動が生まれていく。

 甲子園の常連さんの文化、それぞれの出場高校の文化、高校野球の歴史的文化がある。さらに、出場高校の文化は試合ごとに入れ替わって行く。また、応援しにくる人にも、どちらか高校を応援にきた人、高校野球を楽しみにきた人、デートの人、観光の人など多種多様な人がおり、それぞれの文化が入り乱れる。このような様々な文化が一つの場所に凝縮されているのが面白く、それが時間の経過により変化していくのもおもしろかった。他にも、野球の流れというのも確立操作として、捉えることができるのか?などと考えたりした。

対人援助者として

 対人援助者としても様々な人と関わって行く上で教養は必要となる。また、いろんなことを経験しているというのは、フットワークの軽さにもつながる。対人援助者としてはその場の文化を感じ、改めてその場のその場にはそれぞれの文化が形成されていることを感じとれたのは非常によかった。これはまだうまく言語化できないが、あまりする必要は感じてないが、今後とも様々な場所に出かけて教養を身につけ、その場その場の随伴性に身を任せてみたい。

最後に

 しかしながら、出場高校のあの場に立つだけでもすごいことやし、いろんな訓練があったんだろうなと。負けた選手たちの悔しさも、みているとこちらがジーンとくるものもあった。応援団の暖かさも感じた。本当に今回の経験はまたいい機会であった。是非ともまた観戦に行きたい(許されるなた今シーズンにもう一度)。