少し教育を考える

来春実施の全国学力調査についての橋本知事に対する塩谷文部科学相が、成績結果の公表はかつての悪い競争をうむといった趣旨の発言をした。この中で、競争のために先生が答えを教えたりしことがあったから駄目になった、それをもう一度繰り返さないためにとのことだ。これは成績結果の公表が問題なのではなく、そのように教えた教師が大きな問題なのではないか。成績結果の公表を受け、それをもと分析し、生徒の教育方法を再検討する。そして、なぜそれが必要なのか、何に役に立つのかをも教える。それが現場の教師に求められたものであり、周囲との違いを把握せずでは、そのままでは井の中の蛙となってしまう。そのような、まるで教師の教育を放棄するかのような発言。私にはまるで厄介なことは嫌だからと、花を育てようとしたら雑草がでる。雑草を取り除くのは面倒だから、はじめから花は作らないというように聞こえる。何か勘違いしているといっているが、はたして勘違いしているのはどちらなのであろうか。
子どもたちは単なる学校が生産する商品なのか。過去の反省ができているのなら、それらを改善すればいい。中身のある充実した教育を行うためにも、大きな視野に立った行政の力が必要である。

学校教育の主役である子どもはどこに行ったのか。