ストレスからなのか
最近は本当に忙しい。
というか休みがない。なんという生活なのだと。
そんな中でも自分という者を見失わないで、自己を確立しながら過ごすためにどのようにしたらいいものかと思う。
日中も作業を行い、それでも自分自身の勉強はしたい。
でも、それが叶わないような状況にあるのが現状だ。最近いらいらしてしまっているのが自分でもわかる。なんというか余裕がないような気がする。
そして、時たま家に帰りたくなくなる。正直、もうダメだと思うときがある。そんな中でも自分自身を見失わないでいたい。
昨日は悪夢に似たものを見た。
正直良く分からない。
なんていうのか、5階建てぐらいの小さな木造建築あって、そこがアパートのようになっていて、そこで様々な男が暮らしている。その男たちは30代から50代くらいだろうか。異様に陰湿だ。
そのようななかで、一人の男が死んだようで葬式に似たものがあげられている。死んだ男の顔には白い布がかぶせられ、ろうそくが1つともている。そのろうそくの火しかないような暗い部屋の中で、その死んだ男の周りに数人があつまり、「どうやら死んだようだ」と無機質な感じで手を合わせている。
また、ある住民が何かをしたようで、その住居のボスとでもいうような男と数人が、そのある住民の部屋に対して、陰湿ないたずらを行っている。そのある住民の部屋の天井にユリの花の絵をほっていた。
私にはどうすることもできなかった。ただ見ているしかなかった。
逃げようとするもどかしさもありながら…
結局、その住居から出ることはできないで、私は夢から覚めた。
しかし、実はこういった夢を見たのは初めてではない。
何度かこういったアパートの夢を見ている。しかし、どれも楽しいものではない記憶しかない。
その後、一旦は起きた後にまた眠りにつき、そこではまるで私自身の欲求だけを満たすかのような行動とる夢を見た。
と…
さて、まじめに自己分析してみると。
そもそも夢って何だろうかなと。
どういったときに夢を見るのか。
夢分析ってあるけど、それはどこまで妥当性があるのだろうか。
夢を行動分析で考えるとどうなるのだろうかと純粋に思う。もし取り扱うことが困難であろうとも、実際に夢を見ているのは誰もが実感している事であろう。
最近は、心理学というよりは科学哲学を学んでいる。
きっかけは科学そのものって、そもそもなんなの??からである。
心理学はいかにして科学なのか、一般的なところではなく、しっかりと自分自身で考えたくなった。
そもそも科学的方法ってどういったものなのかなっていうことも。
これをある程度つかんでから、心理学研究法をまた勉強するとさらに理解が深まりそう。
でも、なんだかんだいいながら、たぶん自分のしている事の正当化を、根拠づけを行いたいんだろうなと思う。
結局のところ不安なのかないろんなところでさ。
まぁ、いろんなことを徒然と書いた、夜のマクドナルドなのでした。