明るさが生み出す功罪

眠い。というか、頭が覚醒しすぎていて、逆に集中力が落ちている。こういったときはインプットよりもアウトプットだ。
しかし、それよりもこの時間(20:00)になっても昼間とほぼ変わらない明るさのもとにいること自体が異常なんだよねと。
身体の馴化を考えれば、自然と瞳孔も広がり、眩しく感じてくると。あぁ、この日記を書いたら、本日は帰宅といたしますかね。

【外国文化講読】
なんだか、まさかこの授業で、ユング精神分析を聞くとは思っていなかった(シラバスに書いていたっけ?)。しかしながら、これを聞きながら、私ならこう解釈するんだけどなと、多少、批判的に分析を試みつつ、その分野に対する理解力不足を感じた。また、臨床心理学も自身で学ばないといけないと思っていたところであったので、また今週の土日にでも調べてみようかなと思った。

【生涯発達心理学
やはり、直接講義を受ける方が、知っていないことも知れるのでよいかなと思った。ヒトの発達段階で得られる様々なものが、一種の行動の自然選択(淘汰)によるものであるのなら、どこまでその解釈が可能なのかを合わせて考えながら、講義を受けた。
本日はピアジェの発達理論の基礎的なところだけであった。感覚操作期などは、十分、行動の自然選択、強化で説明がつきそうなきがした。しかし、それを分析するのにも困難なんだろうなと思った。

【心理学研究法】
質的研究が社会構成主義がその基本的哲学であることを知り、多少なりとも違和感を感じた。社会の中で構成されているものであるのなら、それをどのようにして研究し、その妥当性と信頼性を確保するのかが一番の疑問である。
でも、待てよ。こう考えていってみると、それぞれの学問分野の根本的になっている哲学ってなんなのかなといった興味がでてきた。どのような学問でも、その哲学があるはずだ。そもそも、それぞれの学問が成立してきた背景があるのだから・・・と。
それにしても、この世の中の学問をカテゴリー化していったら、どないな状態になるんだろうな・・・。