徹底的行動主義からの再考

yohei11152012-06-20

 私は最近であるが、オーソドックスな行動分析学の立場から離れ始めているように自分自身で感じている。これはなぜかわからない。いや、正確に言えば興味関心が移っているからなのかも知れない。しかしながら、私自身が持つバックグラウンドは間違いなく行動分析学であり、さらに詳細に言えば徹底的行動主義である。

 このような状態となったのも私が立命館大学大学院の応用人間科学研究科に進学しそこで学び始めたからなのかも知れない。本研究科は行動分析学だけではなく、さらに言えば心理学だけでなく対人援助に関わる諸科学・学問が、「連携」し「融合」して問題解決を図ることを目的としている。専門職の育成と研究者の育成の両方を目指している(実践者・研究者モデルの確立とも言えるか)。そのため、本研究科では行動分析学や心理学を専門としていない人とも関わることが多いし、さらに既に対人援助を実践している修了生との関わりや、先生方との関わりも多い。そして、それらの関わりの中で私自身も対人援助について考え直したり、考え込むことがよくある。行動分析学の考え方を心理学を専門としていない人に伝えることに悩むこともある。そして、そこから行動分析学を振り返ることもある。

 こういった過程から、私自身が現在の私自身のディシプリン(学範)が揺れ動かされているのかも知れない。そのため、最近、行動分析学というよりも「徹底的行動主義に基づく学問」について再考している。「徹底的行動主義に基づく学問」=「行動分析学」なのか、それとも違うのか。

 私は学問の歴史や、科学哲学についても興味関心があり、それらに関する書籍や論文も読んできた。そのなかで行動分析学が質的研究のようで量的研究のようであり、量的研究のようであり質的研究のようであると感じていた。そこで、一度、行動分析学の研究実績や方法論から離れて、徹底的行動主義に基づく科学哲学を再考してみようと思い立った。その過程で、行動分析学の研究実績や方法論も復習していくことになろうが、私が行おうとしていることが何なのだろうかと、見つめ直すことも目的としたい。

 そして、まずは私がどのように行動分析学にたどり着いたのかから振り返りながら、再考をすることにする。私のような若輩者がおこがましい行為であろうが、一度、疑問に感じ始めたら、その疑問をそのままにしておくのは嫌であるので、徐々にではあるが進めていきたい。

 なお、これに伴いブログのタイトルを「対人援助のための徹底的行動主義」として、今後は進めていきたい。そして、そのための補助線としてモード論(以下の書籍を参照)が非常に有用であると考えている。質的研究方法やその哲学も学びながら私がもつ疑問の答えを探していく。

 また、ちょうど本研究科の講義でのレポートの作成にあたっても、本研究科の4つのクラスタと臨床心理学ゼミについて考える機会もあり、さらに量的研究や質的研究、倫理について考える機会もあるため、この機会も有効に活用していくつもりである。

学融とモード論の心理学―人文社会科学における学問融合をめざして

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