【内的考察】役割分担の認識 〜08’KIC学園祭にて〜

先日(08/11/16)にKIC学園祭の作業中に考えた。存心館食堂でリユース食器の洗浄作業で、その食器の下洗いを、3人、同じ場所で作業していたときである。そこには多くのどんぶり、平皿、コップがあった。それぞれ3人がそれぞれ、どんぶり、平皿、コップとを誰が言うわけでもなく、わけて作業をしていた。思えばこれは不思議である。3人が3人とも自分自身の役割を認識して、それぞれ役割を分担したわけだ。
これはいつごろから(何歳ごろから)できるようになるのか?
どうして、このように役割分担ができるようになるのか?
などを考えた。考えてみれば、これは他にもある。「以心伝心」という考え方だ。確かに、人は言葉を使わなくてもそれぞれの心の動き、思考をつかむことができる。これは、言葉だけはない情報が発信されているからであるが、このことは上記の役割分担の原因の一端にはなっているだろうが、その説明にはならない。なぜなら、たとえ情報を手に入れ、そのことを認識していたとしても、それが「私は、この役割だな」と考えることの説明にならないからである。これは、どの心理学の領域になるのだろうか。社会心理学発達心理学か。社会心理学で考えるのなら、社会学も学ばないといけない。