心理学を考える

まぁ、それはそれとして、バスにに乗りながら考えていたけど、心理学の正しい(俺が思うに)とらえ方って、日本では誤解を招きやすいのいかなと。
まず、心理学の語源からいっても、昔の日本人で西周(にしあまね)さんていう人がいたんだね。その人がまぁ、外国に留学にいって「mental philosophy(精神哲学)」の訳語として心理学をつかったんだね。つまり「心」の「理学」だったわけで。最近(詳しくは知らないけど近代ぐらいなのかな?)では、「〜心理」といった言葉が多いので「心理」というのが一つの言葉になって心理学が「心理」の「学」となっている(と思う)。まぁ、こちらの方が「phycology」の訳としてはだたしいのかな?
さて、話はもどして、昔は「「mental philosophy(精神哲学)」の訳語としてあった「心理学」という言葉。これからも捉えられるように日本の言葉である「心」には精神とか魂とかといった意味合いが含まれる(と思う)。でも、心理学で取り扱う「心」はどちらかというと、英語でいうと「mind」なんだよね。「soul」とか「spirit」ではないと。つまり、記憶とか、思考、注意、判断などなど(詳しくは英語辞典参照」)が扱われると。
これらの「心」のとらえ方って、日本の文化とか慣例、宗教といいたもので自然と身についているものだから、余計に厄介なのかな・・・。
また、科学的営みを考えても「魂」を扱おうとすると反証可能性を残す余地がないから、それは科学ではないと。そういったところからも考えると、日本では心理学って聞いたときには誤解を招きやすいと思うなぁと・・・バスのなかで考えていました。