iPadの感想&哲学的に自身の研究を捉える

 久しぶりに更新だ。つい忙しくなると更新の暇を見つけないでいてしまうので反省だ(まぁ、反省しないだろうが)。ゼミの課題&発表、学内組織の活動×2種類、研究会などなどでこの1週間、マジでチェックメイトかなと思ったが、本日のゼミでどうにか乗り切った。
 さてさて、iPadが日本で発売になり、私もすぐに手に入れ(5/10には予約)、早数週間が過ぎた。感想は今までの私の生活を変革するものである、といった感じである。論文も書籍も持ち歩くことができて、非常に便利なのだ。読みたいときに読むことができる。また、ただ使っているだけで、ここ数週間で何度か話かけられたりした。これもすごい魅力なのかなと。これで徐々に、iPadだけでなくても電子リーダーが普及していけば、いろいろと便利になるのになと本気で思う。

 まぁ、前置きはこれぐらいにして、最近また考えていることを整理したいと思う。つい前までは心理学とは何なのかといったことに疑問を大きく抱き、それに関する論文や書籍を読んできた。そして、一定の方向性をつかみ、現在に至る。
 まずは、心理学史から入り、心理学論、心理学方法論ときた。そして、統計学も復習しなおし、その根本である基本原理・哲学をつかみ直した。

 簡単に研究には2つの種類が存在する。量的研究と質的研究である。量的研究はこれまでの心理学での主流であり、文字通り量的に研究を進める。多くの実験参加者を対象に、一般化できる法則を導くために行われる場合が"多い"(ここでの"多い"とは、必ずしもそうではないということを意味する)。それに対して質的研究は、対象者の言語報告であったり、必ずしも一般化を主とした目的として行わない。個別事例を研究し、そこからある一般性を解明しつつも、独自性を重んじる。

 では、この2つは果たして相容れないものなのか。「量的研究=論理実証主義」、「質的研究=社会構成主義」といったように、そもそもある哲学が違うということから、相容れないようなものであるような"気がする"。しかし、実際はそうではない(この両者が相容れないものであり、質的研究は量的研究のアンチテーゼであるといった認識もないわけではないだろうが)。

 私はこの両者が同じものであると考える。その方法論としては異なる部分が多いのは事実である。しかし、大きな目的は変わらない。それは「心の理解」である。そもそも心とは何なのかといった議論があるが、それはそれとしても、「心の理解」を行うことにより、それぞれの研究者自身の関心である心のメカニズムの解明であったり、ある現場においての問題改善であったり、他者理解、自己理解につながる。方法論の違いは大きくあれ、問題意識は共有できている。

 心理学のパラダイムの主要なところは「データを取る」ということになり、問題意識とこの主たる原則に従えば、共通した「心の理解」につながるであろう。

 そして、そもそも心理学が現在に至るまで、どのようなプロセスを経てきたかを概観すれば、自ずと心理学というものが何をしようとして、どのように発展し、これから社会との接点の間で、どのようなことを要求されるのかがつかめる。

 私もその一員である。私が何を心理学を学ぶことにより、それらの要求に応えるのかを、私の興味関心とともに追究されていくものである。これがいわゆる人生における使命ではないかと最近、考える。現在の私が形作られるまでに、様々な社会的環境的影響があったであろう。

 このような発言をしては科学的ではないが、その偶発性は必然でもあり、この世に生を受けた時から授けられたものであると。自らの使命のために、様々な人生経験を通して、人生における学びを深めて来たのではないだろうか。

 究極的に人は何なのか。人が当たり前に考えている当然を突き詰めて考えていけば、実は私たちが暗黙的に共有している(または、議論のよりがある)ことが、多く存在している。臨床的なところでいえば、安楽死の問題、自殺の問題、また、日常的なところでいえば、他者を愛すること、自己を愛することなど。意思決定尊重主義の問題から、他者との交流において生きることの問題がある。

 そのようななか、私は何を"思考"し、何を"成立"させるのか。まだまだ世の中には古代ギリシャから議論し尽くされない哲学的問題が多く孕んでいる。これは、以前、答えがでないような、その当時の社会のあり方にも左右されつつも、人間(さらには世界)の本質を追究する重要性があることを示唆している。私たち人間はまだ存在として、何も解明されていないのではないかという、自然に対する畏れの念を抱くものでもある。

 さて、久しぶりに書いていくと、また非常に長くなってしまった。最終的には私自身の哲学的なところに至ってしまったが、実はまだ、この状態で私が書きたいことに入っていないのだ!!

 書いていなかった間のことを書き始めたら、こんな風になってしまった。やはり、日ごろからある程度は書き留めておくものだなと反省(正直、冒頭では反省するつもりはなかったが)。それに、これでも書き足らない個所がたくさんある。もっと統計学的なところで書きたいこともあるし、私自身の研究に対するこれまでの意識変化も書きたかったのだが・・・。

 まぁ、それはそれとして、ある程度は本当に書こうとしていたことの前置きは書けたので、次回はその書こうとしたこと「行動的QOLの拡大」について書きたいと思う。


※ここまで書くだけでも、文章をほとんど見直さずに来ても1時間ぐらいかかるんだよなと。でも、この数日に1回でもいいので、1時間の投資(文章化の過程)は重要なものであると捉えるよう。