CMと旅行について考えてみる

さすがに、しんどいなと思うときが多くある。とくに最近は。昨日から少しだけど涼しくもなったし、これでどうにかここを乗り越えられるか!?

さて、昨日は存心館のMMRにこもって、とくにパソコンをさわるわけではないが、図書館が閉館だったため、そこで勉強することに。そこで考えていたことは、人がCMをみて観光地にいったり、イベントに行く行動とはどういった行動的解釈が可能なのかということである。

徹底行動主義の立場で、これらを分析しようと試みると、まだまだ未熟な私には頭を悩ませることばかりである。単純に新奇性だとかの刺激があるから、その刺激をほしいと思ったり、行きたいと考えたからだというような解釈は行わない。

少なくてもCMが弁別刺激または確立操作となっているはずである。それが、その場所に行く行動を生起させているのであろう。また、はじめて行く場所も、それは行動次元の違いで、好子が出現する場所にいくこと自体の機能は変わらないと考えることもできる。または、それまでの「旅行行動」が般化したとも考えられる。厳密には各個体で違いがあるだろう。

だがしかし、こういった簡単な解釈ではなく、いかにそういった行動を維持、増加させている随伴性を見つけ出し、その行動を予測、制御できるかが重要である。

…と、いろいろと考えているうちに、そもそも記憶についてはどのように行動的に考えられるのか、といったところに私のなかでの論点が移った。行動分析学では、ヒトの私的出来事も行動とみなして研究対象とする。そして、思考とは私的出来事での言語行動に他ならない。

そして、その私的出来事としての言語行動が、どのように弁別刺激となり確立操作操作となり、ヒトの記憶にまつわる行動、「想起行動」などを引き起こしているのだろうかと…。まぁ、昨日はそうやって考えているうちに、結局のところわからん!ってなったんだけどね。

あ、もしかしたらこれは模倣で考えることができるかもしれん。他者の行動を模倣することにより、自分自身にも好子がもたらせられるといった随伴性があるのかもしれん。実際にそうして旅行などを行い、楽しい経験をすれば、その後もそういった行動を行うかもしれんし、もともとそういった行動をしないヒトは、そもそも旅行にいこうとしないかもしれん。

…と、まぁ、結構難しいなと思う。

あとは、そういった思い出とかは、どこまでがレスポンデント行動で、どこからがオペラントト行動なのかを考えた。

まぁ、結局のところ結論はでていないけどね。

少なくても、ヒトまたは動物の行動を維持、増加させているのは、そこに好子があるか、または、嫌悪刺激の除去があるか、はたまた阻止の随伴性や、ルール支配行動により決まってくるのであるのだから、この辺の観点で考えて行けばなにかわかるかなぁ…。

あとは、好きなヒトの事を思い浮かべる行動とかも、直接強化されないのにどうして維持されるのであろうかとも、ついでに考えていた。

あぁ、人間というのは考えれば考えるほど複雑ないきものだな〜。