「成果主義」こそ重要

 形ばかりの「プロセス重視」はこれまでの「成果主義」よりもナンセンスである。

 「成果主義」が見直され、「プロセス重視の評価」になっているところが増えてきているらしい…が。私にとっては非常にナンセンスなお話しである。

 なんというか、そもそも「成果とはなにか」を根本的に問わないで、「成果」=「個人の業績」としたところに問題があるんではないだろうか。これは会社が個人の集合体で、各個人の業績の寄せ集めが組織の利益になるとでも思っているのであろうか。これは要素主義的な考え方であり、集合体としての組織を見れていない個人主義である。

 組織は人で構成されていることに関しては異論はないが、その業績となれば話の次元は異なる。

 そもそも、一つの成果を出すために、プロセスが重視されないことなどあるのであろうか? 

 と、まぁ、私の専門から言うと、たとえヒトであっても動物であり、動物は基本的には即時の強化によって、行動が持続される。しかしヒトは他の動物と違い言語がその人自身の外部とでも内部でも「言語」を使用することによって、即時の強化でなくても行動を維持したり、また、他者に伝えたりすることが可能なのである。

 つまり、できる限り強化は、当該行動を生起したころからできる限り早いほうがいいのである。日本型の成果主義であったのが、これは私も働いていたときに経験したが、評価の締切直近になってやっと上司との面談を行ったり、目標の確認をする。

 そして、そもそもこの目標を決める際にも、確実な面談を行うなりして、目標を設定しなければならず、さらに具体的な行動を起こせるレベル、客観的に把握できる指標を設ける必要がある。「努力する」だとか「向上させる」だとか、どのようにしてそれを測れというのか。これは、努力評価偏重型を支持する人から批判を受けそうだが、それは主観的なものにすぎず、客観的に他者に理解されないし、理解してもらおうという意思すら感じられない、まったくもってバカげている。

 さらに、上記の即時的強化以外にも、個体の行動の様々なレベルは日々変化して、早く獲得できることもあれば予定より遅いときもある。また、個人と比較される対象は、「平均的な個人」または「成果をあげた個人」である場合が多い。このそもそも「平均的な」がくせ者であり、はっきりといってそういう人は存在しない。故にそれと比較して、できた、できていないを判断すること自体がナンセンスなのである。

 さて、様々に少し愚痴のようなことも混ざりながら批判をしてきたが、それではどうすればいいのかである。

・行動前の初期の状態を測定すること
・すぐにでも実行できる行動を決めること
・客観的に判断できる指標を使うこと
・設定した指標をもとに記録をとること
・最低1週間に1回は目標を確認すること
・期限を決めること

 などが上げらる。特に初期の状態の記録をとり、なおかつ最終的な評価がでるまで記録をとり続けることが重要である。そうしなければ、何が変化したのかも分からないし、さらに、そのようにしておけば、何が変化したのかも、どのように変化したのかを主張できるし、客観的に自身でも他者でも理解できる。

 今回は、個人の目標やそのように評価について書いたが、組織に属している個人であればその目標も必然的に組織全体の目標との整合性を問われることになる。これに関しては、私の専門とは少し離れるので、経験的なことからだけでいうと、ブレークスルーで社会的な目標から徐々に部署が下がるにつれて、そこに特化した形で細分化、翻訳されて最終的には個人の個性やその時点のでの能力により、個人の目標が決定する。

 また、これは個人的見解であるが、個人の私的目標も組織内で達成できるように仕組むのも大切であろうと思う。

 日本能率協会が昨年の8〜9月に実施した調査によると、成果主義を見直している企業が38%ほどいるそうであるが、これはもとより形ばかりの「成果主義」を導入していただけではないであろうか。結局、他者を客観的に評価するにはその「成果」しかなく、かつ、当時者にとっても客観的に評価するための指標になるものである。

 以上、2010/8/31の朝日新聞の「組織をいかす2」を読んで、考えてみた事を書いてみた。