自身の専門分野を問う

 心理学をどのような人にも正しく、かつ、わかりやすく説明をするにはどのゆにすればいいのだろうか? 簡単にい過ぎれば誤解を得ることになる可能性もないわけではなく、かといって難しくなるとそれは伝えたい事が伝わらない事になる。そのため、極論であるが誰にでもわかるような説明はできないように思える。それよりも、話しながら相手が抱いている心理学へのイメージを聞き出しながら、その人にあった説明を行う事のほうがよいだろうし、それなら十分に可能である。


 では、どのようにそれを伝えるのかである。私は最近、帰宅するときや登校するときにいつも「心理学を伝えるためにはどうすればいいか」さらに「行動分析学を説明するためにはどうすればいいか」を考えながら歩いている。そうするといろいろとわかってくる事があし、また頭の中も整理できる。


 と、今日から夏季集中講義がはじまった。私は「コーオプ教育概論」を受講している。これは同学部だけではなく他学部さらにキャンパス間も越えてグループが形成され、そこでグループディスカッションなどをすることができる。そして、実際に課題が出されてそれにともなって形成された班で何かしらの提案を行う事は。


 私はこれはとてもいい経験だと思う。8月の間は結局のところずっと勉強を続けて専門分野の基礎を固めたり、さらに専門的なところに手をだした。そのため、周囲からすればだいぶ専門家になりつつある。だがしかし、社会ではそれだけで生きていけるほど甘くはないし、それよりも、多分野との協力があってこそ更なる成果を出すことができる。そのためには、いかに簡単に自身の専門部屋を説明できるかと、他学問を理解できるかが重要になって来る。これはまさにコミュニケーション能力となってくるであろう。


 さて、話を戻そう。心理学を専門外の人にいかに伝えることができるか。私が大切にしたいのが歴史的なところである。どのように心理学ができいかに現在の状態に至ってくるのかである。わかりやすいところでは1879年を一つの地点でまとめてつたえることであろう。さらに、行動分析の話に入って行くのなら1913年の行動主義宣言までとそれからどのようになってきたかをまとめるのがいいであろう。1913年については行動分析学だけにとって重要なことではなく、現在ある心理学が全てにつながることでもあるが、それ以降の認知革命までとそれからが問われ方にいろいろとあるので、その相違点を整理しながら説明するのがいいと思っている。


 しかし、そういったことを学べば学ぶほど思うのだが、どれだけ心理学を学ぶ大学生がその背後にある歴史的経緯と、さらに、哲学的なところまで理解しようとしているか、といったところである。不思議なことにそういったことは少なくとも私の大学で開講されている心理学系のほとんどの科目では明確にそれが伝えられていない。そもそも、心理学は科学なのかといったことに疑問をもって考えたことすらあるかも疑わしい。心理学が自然科学なのか人文科学なのか社会科学なのかは、心理学系のそれぞれの分野でもわかれるところではあるが、私は科学は科学であろうと考えている。その研究が量的であろうと質的であろうともデータを記録し、そこから分析を行う事は一貫して共通である。


 なにかとまとまりのない文章となったが、ようは専門分野を簡単に説明するのは難しいね! ってこと。ましてや行動分析学にいたっては独特な哲学的な背景があるし(行動分析学に限ったことではないが)。徹底行動主義は受け入れられないという人もいるだろうしなぁ。でも、こういったときに、いろんな書物を読み漁っているので、どこに書いていたか明確ではないのだが激しく同意したところがある。それは虹ができるメカニズムを科学的に明らかにしたからといって虹の美しさはなにも変わらないことと同様に、人間行動を科学的に明らかにしたからといって人間の尊厳が脅かされることはない、といったものである。これに対してさらなる反論ってあるのかな? あるとしたら悪用されるから研究対象とするものではない、といったことぐらいかな? しかし、それはなにも人間行動の科学に限ったことではないし、もしそれをいうなら社会的な様々な問題に対して取り組もうともせずに、自己満足で当たり障りのない研究ばかりするのですか? と逆に問いたくなるけどね。まぁ、そういった教員は大学にはいないことを願いたいが。


 さてさて、なにかと批判混じりで思いっきり脱線しながらここまで書いてきたけど、まぁ、このブログはこんな感じなので。と、あとで見返してみると結構まとまっているなと思うこともあるが。


 あぁいつもでも文章を書いていないで勉強をしよう。図書館はあと2時間で閉館だし。