論理的にものを考えるための入門書

yohei11152012-07-15

 さて、最近ちゃんとブログを更新できていなかったのであるが、簡単に更新する。今回は書籍紹介。

 論文を書いたり、論文でなくてもレポートを書くに当たって大切な事とは何であろうか。それは、なんといっても「相手に伝えること」である。これは本当に大切な事であって、相手に伝わらなければどんな立派なものも意味を持たない。

 そういった中で私が大学学部1回生のころに出会った本がこちら。

NHKブックス 論文の教室 レポートから卒論まで

NHKブックス 論文の教室 レポートから卒論まで

 これは先生1人と学生2人で雑談を行うように話が繰り広げられており、非常に分かりやすい。久しぶりに読み返してみると私がこの中で書かれていることを、できる限り守ろうとしてきたような気がする(気がするだけで、他の本などや実際に論文を読んだり書いてきたりしながら学んだことも多いだろうが)。この書籍には解説の後にそれぞれ「鉄則」としてまとめられているのであるが(全部で36個)、例えば、

【鉄則27】自分の論証をより説得力のあるもにできるかどうかは、自分で自分にどれだけツッコミをいれることができるかにかかっている。自分の議論が批判されるとしたら、それはどこなのかを見極めて、あらかじめ批判に答えるようにしよう。

これなんて、ほんまに重要であるし、何も論文を書くだけではなく、「論証」とあるように、誰かを説得したり、何かをプレゼンしたりするときにも非常に重要である。これを意外にやっていない人が多いんじゃなのかというのが最近の想い。さらに、第6章では「論証のテクニック」で、論証や反証を行う際の簡単なことが書かれている。
 この本は論文を書くだけではなく報告書や何かしらの書物をする人、何かを他者に伝える人(そもそも全てしない人はいないと思うが)にとてもおすすめである。

 そして、これを読んでいたときには考えもしなかったが、この中でも触れられているパラダイフ・ライティングのよい練習方法はTwitterだなと思う。140文字で不特定多数の人に伝えるなんて、とてもいい練習。これが意外にやってみると難しい。

 さて、あと同じ著者でおすすめの本がこれ。

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

 科学的に何かを証明するのはどういうことかを考えたいのなら、やはり「科学哲学」。そのための入門書としてはうってつけかと。帰納法の弱点も学べるし、意外と普段使っている論証方法の落とし穴も学べる。興味があればこちらもどうぞ。

生まれる前の書籍を読み進める

yohei11152012-06-21

 科学者としての事実を受け入れることが必要なのか。科学的方法を取った実験や調査が示すものは確かにある。それは認めねばならない。それが科学者としての必要な素養の一つである。自身のディシプリンに他者の科学的事実を受け入れることにほかならない。

 さて、本日は現代基礎心理学6学習IIの第8章(p215~271)を読んだ。久しぶりにというか、はじめてTolmanとかHullの理論について詳しく勉強した気がする。Premackの原理に関することも詳しいことを復習できた。反応確率差分説や反応制限説というのははじめて聞いた。

 また、徹底的行動主義を考える上で、Epsteinの様々な実験や、"the Columban Simulation Project"の一連の実験は非常に参考になりそうだ。望月先生がEpsteinの実験(積み木を移動させて、その上にのってバナナの模型をつつく)のを、なんどもあそこまで説明に使用していた意味が、やっとわかった気がする。さらにもっと勉強していかねばなと。

 この本は1983年に発刊されたもので、私がまだ生まれる前のもの。この当時は「現代」であったものも、今から考えると約30年前のもの。最近の教科書では取り扱われていないことも書かれているので非常に勉強になった。今後はこういった昔に発刊されたものも読み進めていくことにする。

現代基礎心理学〈6〉学習 (1983年)

現代基礎心理学〈6〉学習 (1983年)

徹底的行動主義からの再考

yohei11152012-06-20

 私は最近であるが、オーソドックスな行動分析学の立場から離れ始めているように自分自身で感じている。これはなぜかわからない。いや、正確に言えば興味関心が移っているからなのかも知れない。しかしながら、私自身が持つバックグラウンドは間違いなく行動分析学であり、さらに詳細に言えば徹底的行動主義である。

 このような状態となったのも私が立命館大学大学院の応用人間科学研究科に進学しそこで学び始めたからなのかも知れない。本研究科は行動分析学だけではなく、さらに言えば心理学だけでなく対人援助に関わる諸科学・学問が、「連携」し「融合」して問題解決を図ることを目的としている。専門職の育成と研究者の育成の両方を目指している(実践者・研究者モデルの確立とも言えるか)。そのため、本研究科では行動分析学や心理学を専門としていない人とも関わることが多いし、さらに既に対人援助を実践している修了生との関わりや、先生方との関わりも多い。そして、それらの関わりの中で私自身も対人援助について考え直したり、考え込むことがよくある。行動分析学の考え方を心理学を専門としていない人に伝えることに悩むこともある。そして、そこから行動分析学を振り返ることもある。

 こういった過程から、私自身が現在の私自身のディシプリン(学範)が揺れ動かされているのかも知れない。そのため、最近、行動分析学というよりも「徹底的行動主義に基づく学問」について再考している。「徹底的行動主義に基づく学問」=「行動分析学」なのか、それとも違うのか。

 私は学問の歴史や、科学哲学についても興味関心があり、それらに関する書籍や論文も読んできた。そのなかで行動分析学が質的研究のようで量的研究のようであり、量的研究のようであり質的研究のようであると感じていた。そこで、一度、行動分析学の研究実績や方法論から離れて、徹底的行動主義に基づく科学哲学を再考してみようと思い立った。その過程で、行動分析学の研究実績や方法論も復習していくことになろうが、私が行おうとしていることが何なのだろうかと、見つめ直すことも目的としたい。

 そして、まずは私がどのように行動分析学にたどり着いたのかから振り返りながら、再考をすることにする。私のような若輩者がおこがましい行為であろうが、一度、疑問に感じ始めたら、その疑問をそのままにしておくのは嫌であるので、徐々にではあるが進めていきたい。

 なお、これに伴いブログのタイトルを「対人援助のための徹底的行動主義」として、今後は進めていきたい。そして、そのための補助線としてモード論(以下の書籍を参照)が非常に有用であると考えている。質的研究方法やその哲学も学びながら私がもつ疑問の答えを探していく。

 また、ちょうど本研究科の講義でのレポートの作成にあたっても、本研究科の4つのクラスタと臨床心理学ゼミについて考える機会もあり、さらに量的研究や質的研究、倫理について考える機会もあるため、この機会も有効に活用していくつもりである。

学融とモード論の心理学―人文社会科学における学問融合をめざして

学融とモード論の心理学―人文社会科学における学問融合をめざして

統計学ユーザーの初学者へ

 ときどき統計学に関する質問を受けたり、教えたりするなかで確かに統計学に対して取っ付きにくい人もいるのは確かである。私は心理学から統計学に触れたが、もともと数学で統計学を学んわけでもなく、基本的な考え方も持ち合わせていなかった。かといって授業だけで統計学を学んできたわけではない。そこで、私がどのような本を読み、統計学を専門として研究するのではなく、統計学のユーザー視点でどのように統計学を学んできたかを書いてみようと思う。これから統計学を学ぼうとしているユーザーの皆様の参考になれば幸いである。ここで紹介するのは統計学ユーザーになるための紹介である。

統計学の考え方概念を学ぶの本(「超初級統計学ユーザー」)

 理論というよりはそのもとになっている考え方(概念)を学ぶのなら以下の2冊がおススメ。ほとんど数式はでてこない。しかしながら、実際にありそうな場面で基本的なところ(代表値・標準偏差・分散・相関係数)や統計検定(t検定・分散分析)、多変量解析(因子分析など)について説明してくれている。理論ではなく概念的なところまず掴みたいのなら、この2冊はおススメである。
 しかしながら、あくまでも考え方を学ぶのにはいいが、これだけで実際に心理学統計や、社会統計調査を行うことはもちろんのことだができない。これらの本の内容を理解できれば「超初級統計学ユーザー」といったところ。

統計学がわかる (ファーストブック)

統計学がわかる (ファーストブック)

統計学がわかる 【回帰分析・因子分析編】 (ファーストブック)

統計学がわかる 【回帰分析・因子分析編】 (ファーストブック)

基本的理論を学ぶための本(「初級統計学ユーザー」)

 これが私がはじめて統計学に出会った本である。Amazonで「統計学」をキワードにして調べて一番初めに出てきた物だった。何か学べばいいかわからなかったため、とりあえず選んだ本でもある。しかしながら非常に分かりやすい本である。基本的な理論を学ぶにはいいと思う。私はこの本を毎日1章以上ずつ読んで大事な箇所をノートに書き留めながら学んだ。
 記述統計と推測統計の違いについてもはじめに書いてくれているのでいい。統計学的思考を持って社会にある様々な統計情報を読み解くにはこの本の内容は理解する必要があるだろう。

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

もう少し理論を学ぶための本(「中級統計学ユーザー」)

 ちゃんと数式が出てきます。「統計学の考え方概念を学ぶの本」で紹介した本よりも断然、理論的である。数学にとっつきにくい人はちょっと難しいかも知れない。しかしながら、「多変量解析がわかる」の方では数量化についても扱ってくれているので、多変量解析をしなければならない人はいいかもしれない。出てくる例は抽象的な例だが、最低でもここにでてくることが理解できなければ、専門的な統計学ユーザーになれないだろう。

統計解析がわかる (ファーストブック)

統計解析がわかる (ファーストブック)

多変量解析がわかる (ファーストブック)

多変量解析がわかる (ファーストブック)

心理学統計をする人へ

 さて、上記の5冊が私が統計学ユーザーの初学者におすすめしたい本である。これ以上は各分野によって異なる本が必要となってくるだろう。心理学統計なら以下の2冊がある。

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

多変量データ解析法―心理・教育・社会系のための入門

多変量データ解析法―心理・教育・社会系のための入門

 そして、さらに専門的にというならこの1冊。検定力分析に関しても書いてくれている。

心理統計学の基礎―統合的理解のために (有斐閣アルマ)

心理統計学の基礎―統合的理解のために (有斐閣アルマ)

統計調査をする人に非常におススメする本

 統計調査をする人だけではないが、社会調査に関して非常におススメの本である。文章も少し(?)攻撃的でおもしろい。

リサーチ・リテラシーのすすめ 「社会調査」のウソ (文春新書)

リサーチ・リテラシーのすすめ 「社会調査」のウソ (文春新書)

最後に

 あくまでも統計学ユーザーの視点からであるので、専門的に統計学を研究している人からすれば生ぬるいもであると思う。しかしながら、統計学ユーザーとしてははじめに挙げた5冊はとてもとっつきやすいものであると思う。ということは、それらの内容が理解できないのであれば、残念ながら統計学は向いていないことということなのかもしれない。
 後は、何度も実際に様々なデータで統計調査を行ってみるのがいいだろう。そこで統計検定を行う必要あるだろうし、さらに多変量解析をする必要があるかもしれない。経験的にはちゃんと調査計画が立てられていないデータから、何が言えるのかを依頼されたときに、個人的にだいぶ勉強になった。
 統計的知識は社会に氾濫している様々なデータを客観的に見れることができるリテラシーの一つであろう。さらに、自らの調査を根拠づけるのにも非常に強力なツールと成り得る。統計リテラシーをしっかりと身につることは今の世の中では必須のリテラシーである。

「過激行動主義」って何??

 本日はTwitter上で「過激行動主義」という聞きなれない用語を見て、さらにその用語をつかう人の主張を見ていると、結局、行動主義に関して何も理解していない。恐らく「過激行動主義」は"Radical behaviorism"の訳のつもりなんだろうけど、日本では「徹底的行動主義」というんだけどな。まぁ、確かに"Radical"には「過激」という意味があるしね。

 それにしてもワトソンからの古典的行動主義(Classical behaviorism)との違いを理解していないで、徹底的鼓動主義が主張しているのが、人を含む動物が単なる刺激と反射の関係だと思い込んでいるのがすごいね(皮肉的に)。徹底的行動主義に基づく行動分析学がいう行動は、レスポンデント行動のような反射行動だけではなく、オペラント行動、三項随伴性(three-term contingency)などの先行事象と反応そして後続事象のセットとしての、環境との相互作用をいうんだけどな。

 これは本当に心理学者の中でも間違って理解している人が多くて驚く。批判するなら批判するで、その分野の基本となっていることを勉強してから批判するべきだ。

 それにしても「過激行動主義」って用語は何かしらの分野の書籍や論文にでてくるのであろうか? 一度、調べてみたいものである。

 ちなみに古典的行動主義から徹底的行動主義に関する歴史や、徹底的行動主義に関しては以下の論文と書籍がおすすめである。

・佐藤方哉. (1976). 行動理論への招待. 大修館書店.
・佐藤方哉. (1985). 行動心理学は徹底的行動主義に徹底している. 理想, 625, 124-135.

行動理論への招待

行動理論への招待

学問史を学ぶこと

はじめに

 どのような学問でもその学問か成立した歴史、つまり学問史を学ぶことは非常に重要である。どのような起源を持ち、どのような変遷をたどってきたのかを知ることで、自らの研究がどの位置にあるのかが明らかになる。

心理学と行動分析学の重要な年

 例えば、私が専門とする心理学では1879年が重要な年となっている。また、さらに専門である行動分析学では1913年も重要だ。1879年はヴェルヘム・ヴントがドイツのライプツィヒ大学でカリキュラムとして心理学事件室が開設された年であり、これが近代心理学の幕開けの年となっている。それまでにも、著名な心理学者と思われている人物はたくさんいる(eg., パブロフ、エビングハウス、フェヒナー)。心理学研究の有名な実験は現代のものとは異なり、心理学者によって行われたものは少ない。生理学や医学からの影響が強い。例えば、「パブロフの犬」で知られているパブロフも心理学者ではなく生理学者であり、ノーベル生理学賞を受賞している。
 そして、1913年にワトソンによる「行動主義宣言」があり、情報科学の発展とともに認知科学が成立。その認知科学の一つとして認知心理学(≒情報処理心理学)が発達していった。認知心理学パラダイムは現在の心理学でが主流ともなっている。

気になること

 しかし、なによりも心理学を学んでいない人にも知られているのが精神分析の祖であるフロイトであろう。フロイトは精神医学者であり心理学者ではない。だが、この当時に主流であった人の行動の原因が遺伝的なものであることよりも環境的なものであると重視してその理論を体系立てた。フロイト精神分析を確立させて言った当時の社会的背景は、抑圧的であり(とくに性に対して)、そのためかもしれないがイメージを性的なものへと結びつけることが多い。ちなみに、フロイトの弟子であるユング集合的無意識を提唱したが、フロイトはそれを否定し続けていた。

心理学の主な潮流

 心理学の主な潮流は「認知主義」「行動主義」「精神分析」の3つであったが、「人間性心理学」なども入り非常に複雑化している。しかし、何でもヒトを含めた生物を対象としている限りどのようなものであっても抱え込めるのが心理学の魅力でもあると思っている。研究方法としては量的研究と質的研究と大きく2分されるところもあるが、今後はどのように心理学が発展していくのかが楽しみである。一部は神経科学に吸収されていく傾向があるようにも思えるが。

【コメ】

 とまぁ、まとまりがないが書いてみた。私が専門としてる行動分析学はいったいどの立場にあるのだろうかと非常に悩ましいんだけど。科学哲学的には反実在論な気もするが、まだ私の中ではしっくりとはきていない。

最近の考えていること

 久しぶりに2009年度に受講した武藤先生の「行動分析学」のノートや資料を読み返してみた。読み返しながら、当時は十分に理解できていなかったことが、今では、十分に理解していることも多いなと自らの成長も確認できた。しかしながら、行動分析学の理念というか目的を十分に理解しきれていなかったかなと改めて実感することになった。
 行動分析学は大きく分けて実験的行動分析学と応用行動分析学と理論的(概念的)行動分析学に分けられる。私はどのようなことも基礎をしっかりとしてからではないと次に進むのが嫌な性分である。そのため、これまで意識的に応用行動分析学での成果をあまり学んでこず、実験的行動分析学や、またその基礎となるこれまでの研究成果に関して学んできた。(※本来は基礎も応用も分けるのはしないのが行動分析学だが)
 これも、現在、立命館大学で学んでいて行動分析学が専門の先生方の話を聞いていると(特にゼミの先生)、その話の内容の端々に非常に多くの知識と基礎的なことを身につけているのを感じていた。そのため、私はこの1年間、行動分析学の基本的なことを学ぼうと必死に勉強してきたつもりであった。しかしながら、何かを覚えているのかと問われれば特にないとしか言いようがない。これといって、どういった研究が行われてきたかはさらっと出てこない。あぁ。。と落ち込んでしまう気分だ。
 でも、よくよく考えてみれば、18歳で高校を卒業して働き出して、1年目で何か覚えられたかと言われれば何も覚えられていなかったのはあった。その後、2年目にしてやっと仕事を覚えられるようになり、3年目で工夫をすることができるようになった。そうして考えてみると、この1年間は行動分析学の考え方に慣れるための1年間であったのかなと思う。どのように行動分析学が個体の行動を捉えて分析するのか。今ではそこのことに関しては自信を持って話すことができる。これだけでも大きな成果であったのかもしれない。
 相手を知ることよりも"今"の相手に何を与えることができるのか、当事者がgivenされるのではなく、getできるような状態に持っていく。これは、私が将来、行動分析学をビジネスの現場で発揮させていきたいといった、ビジネスの実践場面でも重要な考えだ。
 それにしても、私は将来はどのようになりたいのか。このまま大学で研究者を目指すのか、それとも専門的に学んだ行動分析学でバリバリに社会に打って出るか。はっきりといってよくわからないのが現状だ。どのように私がなりたいのか。それをはっきりとしなければならない。どのようなことを人生を賭けてでも成し遂げたいのか。そして、そのためには何を学び、どこで経験を積んで自らを高めていくのか。その答えはどこにあるのだろうか。
 場面は変わるが、私が働いていたときに同様のことを考えたことがある。「私はどうして働くのか」である。この答えを見つけ出すまでは本当に長い時間を要した気がする。はっきりとは覚えていないが。そして、当時、導き出した答えが「恩返し」であった。私がここまで生きてこれたのも本当に多くの人たちのおかげであり、さらに私を育ててくれた親もまた同様に多くの人たちにお世話になってきた。その多くの人たちに恩返しがしたいと私は思った。でも、そう簡単にはできない。では、どうするか。それは、今、与えられている仕事を一生懸命に取り組んで完遂すること。どのような些細なことであろうと私が行った仕事が様々なことにつなっがていつか、はお世話になった人たちに届くはずだと考えた。そう考えるとどのような些細な、ましてや人が嫌がるような仕事も進んで楽しくできるようになった。現在も、どうようのことに私は今、悩んでいるんだと思う。場面は違えど本質は同じだと思う。もしかしたら違うかもしれないが。
 また、それに併せて働いていた当時、ある本に出てきた「私たちは仕事に呼ばれる」というフレーズが頭から離れず、どうしても理解することができなかった。でも、これもなんやかんや考えているうちに理解できるようになった。現在、私は様々な役割を持っている。おそらく働いていた時よりも多くのことに取り組んでいる。そのおかげで、いろんなことを経験できているし学ぶことができている。


 でも、なんかよくわからないな。どうしたものか。まぁ、考えてもよくわかないことをいつまでも考えてもそれは悩んでいることにしかならないので、こういったときは、考えるのをやめて違うことをするのがいいのだ。

 なんか、またまとまりのない文章になったな。